譲り得ぬ一点

将棋の子 (講談社文庫)

大崎善生『将棋の子』を最近再読した。初読時には気づかなかったが、今回の再読で非常に面白いと思った点が一つあるのでこの記事を書く。

本題に入る前に、この本がどういう本なのかという概要をざっと説明しておこう。『将棋の子』は、雑誌『将棋世界』の編集長だった大崎が将棋界を題材として書いたノンフィクション作品で、『聖の青春』に続く二作目。その内容は、プロ棋士の養成機関である新進棋士奨励会を、プロになれないまま退会しなければならなくなった若者たちの人生である。プロ棋士になるためには一定年齢以下で四段に昇らなければならない、という年齢制限があるのだ。

ちなみに大崎はこの本を書いた後小説家になり、べたべたに感傷的で甘ったるくとても読むに堪えない恋愛小説のようなものを……まあ悪口は止めておこう。大崎氏のその後はこの文章の主題ではないし、私は別に彼に恨みも何もない。

先述のとおり、『将棋の子』のテーマはプロ棋士になるための厳しい競争に挑みそして敗れ去っていった元天才少年たちのその後の人生なので、この本の中では、一般にはあまり知られていない新進棋士奨励会の内情や、挫折者たちが抱く深い屈託や絶望などが克明に描き出されており、その意味で誰にとってもたいへん面白く読めるものになっている。

「小説家は、自分の文章ではなく自分の人生を、特に自分の人生の不幸を切り売りしたいという誘惑と常に戦わなければならない」という意味のことを言っていたのはたしか水村美苗だったと思うが、実にその通りだ。自分の知らない世界の内輪の事情というのはおおむね興味深いものだし、他人の不幸の物語はもちろん常に面白い。「奨励会退会者たちのその後の人生」というテーマを設定した時点で、この本はほとんど誰にとっても読むに値する、面白い本になることは約束されていたと言っても良いだろう。大崎の文章がまずくても、別にそんなのは大した問題ではないのだ。

以上がこの本の概要についての説明なのだが、私が今回再読して感銘を受けたのは、この本に登場する青年たちの中の主役である成田英二についてであった。

成田は、著者の大崎と同じ北海道の出身だということもあり、またその人格が痛々しいまでにあからさまに未成熟だということもあって、この挫折者たちの群像劇の中で中心的な位置を与えられている。彼は自身の奨励会退会と前後して両親を亡くし、300万円の遺産をポーカーゲーム機につぎ込んで二週間のうちにすべて失ったあと、北海道に帰ってもサラ金での借金を膨らませて実の兄に迷惑をかけて絶縁され、パチンコ店の住み込み店員になったり、古紙回収業者のタコ部屋に暮らしたり、という読者の期待にたがわぬ転落人生を送ってくれるのだが、私が胸を突かれる思いをしたのは、彼をめぐるある一つのエピソードについてである。

彼は奨励会員だった間、定跡の勉強をまったくしようとせず、そのためいつも序盤でひどく形成を損じた。中終盤で逆転して勝つこともあるにはあったが、しかし対戦相手が強くなればそういうわけにもいかず、結局負け続けであった。著者大崎を含む周囲の人々は成田のそんな状況を見かねて、少しは定跡を勉強しろ、序盤を研究しろ、と助言する。しかし彼は頑として聞き入れない。

「定跡の勉強は?」コーヒーをすすりながら私は成田に聞いた。
「いや、こっちそれはまったくしない」と成田は答えた。
「それで、いいの? 成田の序盤はなってないって将棋世界に書かれていたろう」
「ああ、あれかい。あんなの関係ないっぺさ。序盤で損したって、終盤で逆転してやるんだから、それがこっちの将棋だ」
「でもなあ、勉強しておくに越したことはないんじゃないの」
「いや、関係ない。こっちはこっちの考えがある。人の真似して、みんなで同じ将棋指したって意味ない。研究なんて意味ない。自分は自分だけにしか指せない将棋を指すんだ」

さらに十一年後に大崎と再会した時にも、彼はこういうのだ。

「ああ、こっちの将棋はめちゃくちゃだったね。だって、考えてみれば全部作戦負けなんだもん」
「でもそんなことわかっていたんだろう? 勉強しなきゃ、簡単に作戦負けになってしまうことくらい」
「うん、でも、こっち終盤だけでひっくり返してやるって思っていたから。それに人まねはしたくなかったし」
「でも定跡の研究は別に人まねじゃあないだろう」
「いや、絶対にまねだ。こっち、自分だけの考えで、自分だけの将棋を指したかった。それで勝てなかったとしてもしかたないと思っている。才能がなかったということだっぺさ」
「ふーん、頑固だなあ、あいかわらず」
「こっち、将棋のやり方や考え方は間違っていないと今でも思っているよ。だってこっち、奨励会を卒業するとか棋士になるとかそれだけを目標に将棋を指していたわけじゃないから。こっちにしかできない自分の将棋を指してみたかったんだから」と成田は言った。

このエピソードは、成田の性格の奇矯さ、頑なさ、あるいは定跡の勉強のような地道な努力から逃げる甘さの表れとして解釈するのが自然なのかもしれない。私も初読時にはそんな風に理解していたのだと思う。
しかし今回再読して感じたのは、成田は文字通り、彼の将棋(≒人生)を成り立たせるための最も重要なポイント、自分が自分として誇りを持ち続けるためにはこれだけは譲れないという一点を、決して譲ることなく守り抜いたのではないか、ということだ。そしてそのように読むと、奨励会の退会駒を懐に抱いてタコ部屋に起居する成田という人物の存在が、にわかに燦然たる輝きを放ちはじめる。

定跡の勉強は人真似だから自分はやらない、という彼の強い主張の背後にある論理を、常識になずんだ我々が想像することは難しい。彼の将棋観においては、盤の前で考える即興性のようなものが重要だということなのだろうか、あるいは、あらかじめ手の有利不利を調べておいたり他人の指した手順を覚えておいたりすることは、隠し持ったコンピュータに詰め手順を調べさせてそれを指すのと同様の卑怯な行為だというような感覚があるのだろうか。

それは私にはわからない。しかし彼が定跡を勉強せず結果的にプロになれなかったのは、彼が愚かだったからでも怠惰だったからでもなく、ただ自らの信念を守り通しそれに殉じたためだ、と文字通りに信じることは、なぜか私にはできるのだ。成田の言葉は、嘘偽りのない真実なのだ、と私は本当にそう思っている。

彼が自分の信念を捨てて定跡を勉強したとしても、誰にもいっさい非難されることはなかったであろうし、彼が何らかの不利益をこうむる心配もなかった。事態は間違いなくその逆で、彼の奨励会での勝率はきっと上がったであろうし、二段から三段へ、そして四段へとあと二段階奨励会を勝ち上がれば、プロ棋士になれたのだ。そうしたら癌におかされて死を目前にした母親は、どんなにか喜んだことであろう。

しかし彼の中の法廷はそのようなことを許さなかった。いや、きっと彼は内心の法廷の判決を受けてしかたなく定跡の勉強を断念したわけではなく、そのように自分の信念に背き誇りを捨てることなど、端から問題にすらしなかったのに違いない。なぜなら、そんなことをして勝ち、プロになり、母親を喜ばせたところで、それが彼の将棋にとって何の価値もないことはわかりきっていたのだから。

自らの内にそのような譲り得ぬ一点を持ち、それを守り抜く者は幸いである。

利得や名誉を求めて、あるいは苦痛や惨めさを恐れてそのような一点を放棄し、自らが自らであることの誇りを失ってしまった者は、たとえ生きながらえて日の光を仰いでいようとも、そして栄達のどのような高みに昇ろうとも、もはや存在しないも同然である。そのような生にはもはや語るに足る価値などありはしない。
しかしその一点を守り続け、自らの内なる誇りを失わない者は、何十年にもわたる魂の暗い夜を孤独に歩き続け、最後には路上で餓死し凍死したとしても、その生は総体として祝福されていることだろう。
そのような生の中にこそ、真に栄光と呼ぶにふさわしいものが宿るのだ。