ポール・ヴェルレーヌ よくみる夢

Mon reve familier


Je fais souvent ce reve etrange et penetrant
D'une femme inconnue, et que j'aime, et qui m'aime,
Et qui n'est, chaque fois, ni tout a fait la meme
Ni tout a fait une autre, et m'aime et me comprend.


Car elle me comprend, et mon coeur transparent
Pour elle seule, helas! cesse d'etre un probleme
Pour elle seule, et les moiteurs de mon front bleme,
Elle seule les sait rafraichir, en pleurant.


Est-elle brune, blonde ou rousse? Je l'ignore.
Son nom? Je me souviens qu'il est doux et sonore,
Comme ceux des aimes que la vie exila.


Son regard est pareil au regard des statues,
Et, pour sa voix, lointaine, et calme, et grave, elle a
L'inflexion des voix cheres qui se sont tues.

  • -


よく見る夢


僕はよくこんな夢を見る。不思議に心に残る夢だ。
知らない女がいて、でも僕は彼女を愛し、彼女も僕を愛している。
彼女は会うたびごとに、まったく同じままというわけでもなく、
かといってまったくの別人になるわけでもない。そして私を愛し、私を理解してくれる。


彼女が理解してくれるので、私の心も
彼女に対してだけは透明になり、頑なさを忘れる。
彼女に対してだけは。そして私の額の脂汗も、
彼女だけが涙を流しながらぬぐい去ってくれる。


髪の色は栗色か金色か赤か? それはわからない。
名前は? 想い出せるのはただ、甘くそして嫋々と響く、
世を去った恋人の名のようだということのみ。


その眼差しは彫像の眼差しのごとく、
その声といったら、遠くやさしく、しかし真剣で、
死んでしまった愛しい者の声のような響きを帯びている。

唯一の理解者であり恋人であるような不思議な女性の献身的な愛によって、自分でも扱いかねる自分の心の孤独と屈託とが慰められ、解きほぐされる、という若きヴェルレーヌ(たぶん十代だ)の幻想あるいは妄想を、夢の記述という形で呈示した詩。詩形としてはソネットの形式をとっており、内容面でも前半の二連と後半の二連とで明らかな転調が見られる。具体的に見てみよう。

前半二連では、主題となる幻想の本筋が語られるが、具体的な描写は意外なほど少なく、幻想のあらすじを説明的に提示しただけに近いと言えるかもしれない。特に、彼女が私を「理解する」とはどのようなことか、本来はそこにこそすべての問題があるはずなのだが、この詩では me comprend の一言ですべてが解決済みとされる。確かに夢ではそういうことがありがちだ。完全な愛と理解といったようなものが、すでに夢のストーリーの前提として与えられている、というようなことが。
しかし第二連で語られる、私の額の脂汗を彼女が涙を流しながら rafraichir する、というイメージには胸を衝かれるような生々しさがあり、この二連全体が宙に漂わないための要となっている。(実際、全体的な文脈は書き割りじみているくせに、細部には妙なリアリティがある、というのは夢の特徴でもある。)
そして、自分の心について、cesse d'etre un probleme と表現しなければならないことの苦々しさ! 彼の魂は probleme である程度には高貴であり、しかしそれを probleme として認識しなければならない程度には平凡なのである。改めて確認するが、彼女はこの probleme の救済者であって、それが彼女からの一方的かつ完璧な理解と献身とによって実現される、という枠組みこそがこの詩の幻想の核心なのであり、ここに萌えない人にとっては、結局のところこの作品はあまりピンと来ないものではあろう。

後半二連は一転して、彼女の描写にあてられる。どちらの連も、最初の一行で視覚的な描写、後の二行で聴覚的な描写を提示し、聴覚的な描写の方は、どちらも死んだ恋人のイメージに(しかし全然違う単語を使って)結びつける、という技巧的な構成になっている。後半二連には特に音楽的に美しい行が多く、やはりこういった方面でヴェルレーヌが本気を出せばさすがだと思い知らせてくれる。私の趣味では、この詩の中で最高の一行は、Son regard est pareil au regard des statues, だ。美しい。
これは何の根拠もない個人的な想像だが、ヴェルレーヌは視覚よりも聴覚からの入力に対して敏感で、ある種の音楽や人間の声に対して陶酔感を味わいやすい人だったのではないだろうか? 後半二連の内容における音声への異常なまでのこだわりを見ても、どうもそのように思えてならない。


ちなみに、ヘルマン・ヘッセもこの詩を愛したらしく、韻文訳を作っている。

Ich traeume wieder von der Unbekannten,
Die schon so oft im Traum vor mir gestanden.
Wir lieben uns, sie streicht das wirre Haar
Mir aus der Stirn mit Haenden wunderbar.
Und sie versteht mein raetselhaftes Wesen
Und kann in meinem dunklen Herzen lesen.
Du fragst mich: ist sie blond? Ich weis es nicht.
Doch wie ein Maerchen ist ihr Angesicht.
Und wie sie heisst? Ich weiss nicht. Doch es klingt
Ihr Name suess, wie wenn die Ferne singt -
Wie Eines Name, den du Liebling heisst
Und den du ferne und verloren weisst.
Und ihrer Stimme Ton ist dunkelfarben
Wie Stimmen von Geliebten, die uns starben.

正直、全体的に見てヴェルレーヌの原作に迫る出来だとは思えないが、しかし素晴らしい部分もある。

Und sie versteht mein raetselhaftes Wesen
Und kann in meinem dunklen Herzen lesen.


彼女は私の謎に満ちた本質を理解し、
この暗い心の中を読み取ることができる。

この二行は、間違いなく原作第二連のニュアンスの多くを伝えているし、それ固有の美しさを持つことにも成功していると思う。
特に、ヴェルレーヌの mon coeur ... cesse d'etre un probleme / Pour elle seule, という言葉に乗せられた苦々しさを敏感に読み取り、まったく違う言葉で再構成して見せた力量は称賛に値する。