2008-04-01から1ヶ月間の記事一覧

ある罪のかたち

「天の国はまた次のようにたとえられる。 ある人が旅行に出かけるとき、僕(しもべ)たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、五タラン…

『ドゥイノの悲歌 第十の悲歌』冒頭を読んで、改めて溜息をつく

Dass ich dereinst, an dem Ausgang der grimmigen Einsicht, Jubel und Ruhm aufsinge zustimmenden Engeln. Dass von den klar geschlagenen Haemmern des Herzens keiner versage an weichen, zweifelnden oder reissenden Saiten. Dass mich mein stroem…

プリアメル(priamel)

もうずいぶん昔の話になってしまったが、大学院の入学試験についての思い出話を書かせていただく。私が受験した学科では毎年、「ギリシャ語」および「ラテン語」の「韻文」および「散文」、合計四つの中から三つを選んで訳せ、という問題が出題されるのが常…

ボルヘス『バビロニアのくじ』

我々は生物種としては、生まれた時に既にヒト(homo sapiens)だが、しかし生まれた時から「人間」の仲間であるわけではない、と言いたくなることがある。 ここで言う「人間の仲間である」ことの意味は、「現実」と呼ばれるこの開かれた場を、「空間の広がり…

祈ること(1)

祈りとは何なのか? 祈るとは何をすることなのか? 回答1:神と対話をすること。 回答2:ある種の呪文を唱えて義務を果たすこと。 もちろん回答1が正しくて回答2は間違っている、わけではない。「祈りとは、神と対話をすることである」というセンテンス…

続・山尾悠子について

山尾悠子についての続き。彼女の作品の際立った魅力は、律動的で詩的な文章であろう。文章の美しさについては、前回のエントリーで引用したいくつかの作品の書き出しに、その美点があからさまに現れていると思う。例えばこれだ: 夜を越えまた越えていくうち…

山尾悠子について

私が山尾悠子の作品に初めて出会ったのは、たしか1990年代の後半に国書刊行会から出版された幻想文学のアンソロジーシリーズにおいてであったと思う。そのシリーズの第一巻に『遠近法』が、そして第四巻に『月齢』が収められていたのだった。何の予備知識も…

リルケ『ドゥイノの悲歌』には何が書いてあるのか?

コンピュータで扱うデータはどんなものでも、ビットの並びよって表現されている。よく便宜的にテキストデータ/バイナリデータなどと区別されて語られることがあるが、その間には本質的な違いなど何もない。要するに大量の0と1との塊がある、ということだけ…

美的な構成物のコンパイラ、あるいは情熱の対象

ポール・フォードは、Processing, Processingと題されたきわめて魅力的な文章においてこう語っている: Processingのような、実行形式にではなく絵や歌やデモやWebサイトのような美的なオブジェクトへとコンパイルされるコンピュータ言語に対して、私は情熱…