文章家としてのカエサル

ガリア戦記 (講談社学術文庫)

ガリア戦記 (講談社学術文庫)

ガーイウス・ユーリウス・カエサルジュリアス・シーザー)は文章家として極めて評価が高く、彼の『ガリア戦記』や『内乱記』はラテン語散文の模範とされている、というような話を聞いたことがある人は多いと思う。

しかしその評判を耳にして、たとえば翻訳の文庫本を読んでみても、淡々とした文章が続くばかりでいったい何が名文なのかさっぱりわからない、という感想を持った読書人は、実は日本全国に相当数いるのではないかと私はにらんでいる。少なくとも私は、そのような疑問を直接ぶつけられたことが一度ならずある。

訳文はかなり読みづらいものだった。だが、そんなことは少しも構わぬ。発掘された彫刻の表面が腐蝕しているようなものである。原文がどんな調子の名文であるかすぐ解って了う。

小林秀雄ガリア戦記

と誇らしげに言う小林秀雄のような人は、例外中の例外なのではあるまいか。(より率直に言わせてもらえれば、小林がいったい原文を「どんな調子の名文」だと思ったのか、その内容の妥当さについてもいささかの疑いなしとはしない。)

その上さらに面白い事実として、カエサル読みたさに(というわけでもないだろうが)ラテン語を勉強した人ですら、ようやく原文を読めた『ガリア戦記』の文章に失望しがちだということがある。ラテン語の初等文法の学習書には、カエサルからの引用文がふんだんに散りばめられるのが伝統であるし、初等文法を学び終えたぐらいのレベルで読まされる副読本として『ガリア戦記』が選ばれることは非常に多いものなのだが、まあそれらの文章を読んで、「なるほど、これがカエサルか。確かに名文だ!」と膝を打った人の話など聞いたことがない。

カエサルの文体は雄渾簡潔であるというような世評があるから、はじめて彼の文章に接する人はそこに、ある種の漢文のような極端に引き締まったきびしい簡潔さを期待し、たとえば短文を叩きつけるように連ねて躍動感をみなぎらせるとか、限界まで削られたわずかな言葉によって嫋々たる余韻をかもし出すとか、そのような感じの技巧が用いられているものと予想しがちであるが、残念ながら実際のカエサルの文章はまったくそのようなものではない。簡潔な短文などというものはあまり登場せず、それどころか従属節をいくつも連ねた長い文章ばかりであるし、省略によって余韻をかもし出すというよりも、むしろいろいろなことをしつこく説明し尽くすような文章である。

それでは「技巧的な簡潔さ」が見られないとしたら、逆に『平家物語』や『太平記』ばりの華麗な対句や、典雅な語彙の美しさなど「技巧的な過剰さ」があるのかといえば、そんなものはもちろん作品全篇にただの一つも出てこない。

じゃあいったいどこが名文なんだよ、ただの新聞記事みたいな文章じゃないか、と言われそうであるが、実はその通り、それがほぼ正解なのである。

しかしただ一つ知っておくべきは、カエサルよりも前の世代のラテン語散文の書き手たちは誰も、多くの複雑な情報をうまく整理して一つの文章にまとめるだけの文章力を持っていなかった、ということだ。これはローマ人は馬鹿ばかりでまともな文章ひとつ書けなかった、ということでは必ずしもなく、ラテン語自体が語彙においても統辞法(従属節における時制や法の使い方など)においても、まだまだ未熟な言語だった、ということなのだ。

これはちょうど日本の明治期に、まさに生まれようとする言文一致の文章法を確立させるために、美妙斎、二葉亭、紅葉、逍遥、鷗外、露伴などなどがおのおの工夫を凝らしていたというのと似ている。カエサルはそのような時代に生まれ、「事実を伝えるためのラテン語」の文章法を確立した大家だったのである。(他方、「弁論のためのラテン語」を確立したのは、同時代に生きたキケロー。)

Labienus postquam neque aggeres neque fossae vim hostium sustinere poterant, coactis undecim cohortibus, quas ex proximis praesidiis deductas fors obtulit, Caesarem per nuntios facit certiorem, quid faciendum existimet. Accelerat Caesar, ut proelio intersit. Eius adventu ex colore vestitus cognito, quo insigni in proeliis uti consuerat, turmisque equitum et cohortibus visis quas se sequi iusserat, ut de locis superioribus haec declivia et devexa cernebantur, hostes proelium committunt.


ラビエーヌスは、保塁も壕も敵の攻撃を持ちこたえることができなくなると、運よく近くの陣営から引き出すことに成功した十一個大隊を集結させ、なすべきと考えることを使者を通じてカエサルに告げる。カエサルは戦闘に加わるために急ぐ。外套の色によってカエサルの到着を知り(彼は戦闘の際、それを目印として身に帯びるのが常であった)、カエサルがついてくるように命じておいた騎兵の集団と歩兵大隊とを見ると(頂上付近から、味方がいた中腹の斜面に対して視野が開けていたため見ることができた)、敵は戦闘を開始する。

ガリア戦記』の典型的な一ページとはこのようなものであり、そこにはおよそ目に立つような技巧は何も用いられていないが、しかし戦闘における各人の考えや行動を、様々な付帯状況を交えつつこのように明晰に記述することは、ラテン語においてはカエサルによって初めて可能になったのである。接続詞や時制や法や独立奪格句の使い方についてラテン語の文法書に載っている鬱陶しい規則の多くが確立されるにあたっては、カエサルの工夫が与って大きかった、ということを人は知らねばならない。そして、それら鬱陶しい規則の数々によってはじめて、主節を重視するタイプの(弁論型ではなく事実報告型の)高度な散文が書けるようになったのだということも。

そのようなわけで、ラテン語に関して十分な文体感覚を持っている者が上のような文章を読むと、そこに登場する単語すべてが散文にふさわしい純正なラテン語であり、その活用形や曲折形のすべてが散文においてまさにかくあるべき形であり、叙述の対象となる事実の本筋と、その背景や付帯状況とが、実に手際よく主節と従属節と独立奪格句とに振り分けられており、それらの従属節における接続詞や時制や法がすべて完璧なまでに適切であることを即座に感じ取り、その文章の書き手の筋の良さに感嘆するのである。

そして同時に、これほど正確で明晰な文章を書けるほどの能力と教養とが備わった文章家であれば、そこに何らかの技巧的な装飾をほどこすことなど容易であったに違いないのに、彼は敢えてそれをせず、自らが書いた文章を生のままの状態で提示してきたのだ、という事実にも気づき、必然的に、その意味や意図についてあれこれと思いをめぐらすことになる。

カエサルの文章を読むという体験はそのようなものであり、だからこそ、彼の文章は見事なものだと言われるのである。

以下は完全な蛇足。
現代の日本は、統治(三権の執行)や論説に使われる日本語どころか、小説や詩において用いられる日本語の文体すら固定化されて久しい、そんな時代である。(誰か異議ありますか?)

だからカエサルの時代のローマとは背景が違いすぎて、「現代日本において、カエサルに相当するような文章家は誰か?」というような問いを立てることはあまり妥当ではないのだが、でも面白そうだから無理を承知でこの問いを提起して、それに答えてみよう。

私の答えは、ズバリ山崎豊子
大昔には新聞記者だったというだけあって、措辞や文法は几帳面なまでに正確でカエサルっぽいし、華麗な文飾に淫するタイプでは全然ないし、それでいて結構複雑な場面を手際よく描写して見せてくれたりもする。
どうだろう?